宝賀寿男の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:31 UTC 版)
宝賀寿男の説によれば、本来の高天原(所謂邪馬台国)は北九州の筑後川中・下流域にあり、天孫降臨の地は現在の怡土郡・早良郡(現糸島市、旧伊都国)辺りで、葦原中国とは海神信仰の強い那珂郡(奴国)のことであって、現在でいう出雲国ではないともされる。実際に奴国と想定される博多地域では志賀海神社や安曇氏など海神族の色合いが濃く、出土した金印の鈕も海神族のトーテムである蛇である。また事代主神と建御名方神の国譲りは、『日本書紀』の神婚譚にも見えるように、実際には現在の奈良県(旧大和国、大神・磯城周辺)であったとされる。実際に『出雲国風土記』には事代主神も建御名方神も登場しない。 ほかには、記紀神話における「出雲」を現実の出雲国だけではなく、ヤマト王権に帰順しなかったと思われる地域・部族の総称とする説もある。
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