宗円寺_(長野県阿智村)とは? わかりやすく解説

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宗円寺 (長野県阿智村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 02:45 UTC 版)

宗円寺
宗円寺 山門
所在地 長野県下伊那郡阿智村伍和1532
位置 北緯35度25分44.1秒 東経137度44分27.6秒 / 北緯35.428917度 東経137.741000度 / 35.428917; 137.741000座標: 北緯35度25分44.1秒 東経137度44分27.6秒 / 北緯35.428917度 東経137.741000度 / 35.428917; 137.741000
山号 水口山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
開山 元和2年(1616年)頃
法人番号 4100005009766
宗円寺
宗円寺 (長野県)
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宗円寺(そうえんじ)は長野県阿智村にある浄土宗の寺院。山号を水口山と称する。本尊は阿弥陀如来である。[1]

歴史

この地(向関村)の領主で、江戸幕府の在地旗本となった宮崎氏が菩提寺として元空寺(浄土宗)を建立、その後宮崎重次が、近くの寺、雲洞院(曹洞宗)と併合して浄土宗雲洞院とした。元和2年(1616年)頃、三河国津具村法前寺より受頓和尚が入山と伝わる。貞享3年(1686年)、宮崎重次の法名を寺号として、宗円寺に名をかえた。(重次没後42年後)。宝永5年(1708年)宮崎家当主乱心名目で改易になり、当寺は地元檀家90軒が護持する。享保11年(1726年)、小野川村80余戸が浄久寺を離檀し宗円寺檀家になるという事件があり、古文書がのこる。

現在残る本堂天保4年(1833年)の建造で、間口7間奥行7間、立川流の竜の彫刻を組み入れた向拝をもつ。山門も同年代建造と伝わる。本堂右手にある庫裡は大野忍敬住職在任中の建造。本堂裏山は墓地となっていて、歴代住職、旧領主宮崎氏歴代の墓所(阿智村史跡)がある。[1]

昭和60年(1985年)大野忍敬、宗円寺20代住職に任命される。平成7年(1995年)住職大野忍敬、知恩寺第73世住持に任命される。

境内

  • 本堂 天保4年(1833年)の建造で、間口7間奥行7間、立川流の竜の彫刻を組み入れた向拝をもつ。
  • 山門 天保4年(1833年)の建造と伝わる。
  • 鐘楼 宝暦2年(1752年)の建造と伝わる。同時期鋳造の梵鐘は戦時供出。現在の梵鐘は昭和24年鋳造で檀家の寄進。
  • 庫裡 大野忍敬住職在任中の建造。

文化財

  • 阿弥陀如来像 本尊
  • 薬師如来像 慈覚大師作と伝承される。
  • 宮崎氏歴代墓所 昭和47年(1972年)阿智村史跡に登録される。

画像

所在地

長野県下伊那郡阿智村伍和1532

交通

引用

  1. ^ a b 『『阿智村誌』下巻』阿智村誌刊行委員会発行、1984年。 

参考文献

  • 『阿智村誌』下巻 阿智村誌編集委員会 阿智村誌刊行委員会発行 1984年(昭和59年)



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