宇賀伊津緒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 06:17 UTC 版)
宇賀 伊津緒(うが いつお、? - 1950年)は、日本の実業家、翻訳、文筆家。ペンネームは、宇賀一男、宇賀一朗。日本ではじめてカレル・チャペック『ロボット』を翻訳し[1]、「人造人間」という造語を造った[2]。
生涯
山口県周南市出身。1915年、東京高等商業学校に入学[2]。一橋俳句会加入[2]。1917年、東京高等商業学校を卒業し[2]、鈴木商店に就職した[2]。
1919年末から1925年にかけてニューヨーク支社に勤務[2]。宇賀一男のペンネームで『紐育新報』『日米時報』の年賀広告を執筆[2]。テニスプレーヤーとしても活躍した[2]。1923年には、 俳句誌『層雲』にアントン・チェーホフ『手帖』の抄訳やエッセイ「紐育にて」が掲載された[2]。同年7月、『人造人間』を刊行[2][3]。これが「人造人間」の初出とされる[2]。なお、伊津緒が刊行した『人造人間』は英訳からの重訳だった[1]。1924年、俳句誌『層雲』にピランデロの「花を啣へた男」の重訳を発表した[2]。
1928年、日本トレイデング商会設立[2]。1950年、結核のため病没[2]。
脚注
- ^ a b “翻訳の変遷を辿る|ブルナ ルカーシュ先生”. 実践女子大学/実践女子大学短期大学部. 実践女子大学. 2025年6月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 高橋さきの「人形と生き物と言葉―「人造」はどこからきたのか、そしてどこへゆくのか」『生物学史研究』第96巻、日本科学史学会生物学史分科会、2019年11月、65-79頁、doi:10.24708/seibutsugakushi.99.0_65。
- ^ “【東京特派員】1世紀を生き抜く「人造人間」 湯浅博(2/3ページ)”. 産経新聞:産経ニュース (2018年3月6日). 2025年6月22日閲覧。
参照リンク 外部サイト https://www.sankei.com/article/20180306-TTHANYJQ5ZJ3FAULZTWNA7NKZE/2/
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