子持松砦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 14:35 UTC 版)
主格の南方370メートル付近に存在する中世の曲輪群で、用瀬氏が築いたものとされる。「子持松砦」の名が付けられているが、独立した別個の城郭ではなく、基本的に用瀬城の一部として扱われる。石垣はなく、平入り虎口、掘切、竪堀が残存している。山頂部に先行して築かれ、天正年間に放棄されたといわれる。
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