姫治村 (岐阜県)とは? わかりやすく解説

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姫治村 (岐阜県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:27 UTC 版)

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ひめじむら
姫治村
廃止日 1960年4月1日
廃止理由 分割編入
姫治村(一部) → 多治見市
姫治村(一部) → 可児町
現在の自治体 多治見市可児市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
可児郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 19.2km2.
総人口 2,818
(1956年)
隣接自治体 岐阜県多治見市可児郡可児町
愛知県春日井市犬山市
姫治村役場
所在地 岐阜県可児郡姫治村神田1477-2
座標 北緯35度23分48秒 東経137度03分35秒 / 北緯35.39658度 東経137.05972度 / 35.39658; 137.05972 (姫治村)座標: 北緯35度23分48秒 東経137度03分35秒 / 北緯35.39658度 東経137.05972度 / 35.39658; 137.05972 (姫治村)
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姫治村(ひめじむら)は、かつて岐阜県可児郡にあったである。

1960年、南部が多治見市に、北部が可児郡可児町に分割編入された。現在は多治見市北部と可児市南部に該当する。

歴史

  • 江戸時代末期、この地域は美濃国可児郡に属し、天領尾張藩領、旗本領が混在する地であった。
  • 1889年明治22年)7月1日 - 北小木村、大針村、大薮村、下切村、今村、谷迫間村が合併し発足。
  • 1960年昭和35年)4月1日 - 分割編入により廃止。
    • 南部(旧・北小木村、大針村、大薮村、及び下切村の一部)は多治見市に、北部(旧・今村、谷迫間村、及び下切村の大部分)は可児郡可児町に編入される。

分村問題

  • 昭和の大合併では、当初多治見市との全村合併が計画されていた。しかし、村の北部地域が反発。また、村議会内でも合併賛成派と反対派が対立、村長選挙の結果、賛成派村長と反対派村長に交代するといったことで混乱してしまったという。
  • 最終的には自治庁、県の斡旋などもあり、南北分村となった。

教育

交通

関連項目



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