天正寺 (大町市)とは? わかりやすく解説

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天正寺 (大町市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 02:53 UTC 版)

天正寺
所在地 長野県大町市大町4729番地
位置 北緯36度30分22.91秒 東経137度51分12.26秒 / 北緯36.5063639度 東経137.8534056度 / 36.5063639; 137.8534056座標: 北緯36度30分22.91秒 東経137度51分12.26秒 / 北緯36.5063639度 東経137.8534056度 / 36.5063639; 137.8534056
山号 青龍山
宗派 曹洞宗
本尊 宝冠釈迦如来坐像
創建年 鎌倉時代
札所等 仁科三十三番札所・第7番
文化財 三重小塔(長野県宝)
法人番号 2100005007301
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天正寺(てんしょうじ)は、長野県大町市大町にある曹洞宗寺院。山号は青龍山。中世の信濃国安曇郡領主仁科氏の城館跡に建立された。仁科三十三番札所の七番札所である。

概要

現在の本尊は明和4年(1767年)の銘のある宝冠釈迦如来坐像で、脇侍として文殊・普賢の両菩薩像があり、木食山居の作による聖観音立像や延命地蔵半跏像などがある。犬養毅の揮毫による「仁科城址」の碑がある。

山門は元禄元年(1688年)建立で往時の居館の大手門付近にあたり、城門様式による四脚門で「古城林」の扁額が掲げられている。位牌堂には仁科氏累代や歴代住職の位牌が収められている。

仁科氏の居館址は東西約170メートル、南北約110メートルで周囲に外堀が巡らせてあり、2つの廓を持っていた。遺構は大町市の史跡に指定されている。

歴史

鎌倉時代末期に同郡館ノ内(現・大町市社)から遷移し、戦国時代末期に滅亡するまで、約300年にわたって仁科氏の居館であった。開山は大鎮和尚。天正10年(1582年)に仁科氏が滅亡すると、遺臣や町衆達がその遺徳を偲び、菩提を弔うため、菩提寺の長性寺を居館跡へ移し、魏州太鎮和尚を開山として同12年(1584年)頃に創建した。山号は仁科盛政の法号「青龍寺殿」に由来する。

元和2年(1616年)に伽藍が焼失したが、寛永18年(1641年)に再建され、慶安2年(1649年)に江戸幕府より朱印10石を賜る。明治4年(1871年)に廃仏毀釈により廃寺となるが、明治15年(1882年)に永平寺61世久我環渓禅師によって再興され、爾来、同寺の末寺となる。

伽藍・境内

  • 本堂
  • 庫裏
  • 山門
  • 位牌堂
  • 衆寮
  • 宝蔵
  • 三重小塔(長野県宝)

所在地

大町市大町北原町4729番地

交通アクセス

関連項目

参考文献

  • 『大町市史』
  • 『探訪 信州の古寺 探訪・信州の古寺 〈第3巻〉禅宗』(郷土出版社、1996年)
  • 篠崎健一郎『仁科三十三番札所めぐり』(一草舎出版、2005年)

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