大鐙閣とは? わかりやすく解説

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大鐙閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 06:45 UTC 版)

大鐙閣
正式名称 株式会社 大鐙閣
英文名称 Daitokaku
現況 解散
種類 株式会社
代表者 面家荘佶、久世勇三
本社所在地 東京市京橋区桶町15番地
主要出版物 歴史と地理、マルクス全集
定期刊行物 解放
得意ジャンル 学術書、自然科学書、全集
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株式会社 大鐙閣(かぶしきがいしゃ だいとうかく)は大正時代から昭和時代にかけて存在した日本の教育出版社。東京市京橋区桶町及び大阪三休橋南の大阪大鐙閣で運営されており[1]、雑誌や翻訳書の出版も行った。

沿革

  • 1917年 - 『歴史と地理』シリーズの刊行を開始。[2]
  • 1918年 - 池辺義象編『日本法制史書目解題』を刊行。[3]
  • 1919年 - 6月1日、民本主義デモクラシー)を主義とする黎明会麻生久らが創刊した機関誌『解放』(第1次)の刊行を開始[4]。創刊号の発行部数は3万部であった。
  • 1920年 - 『マルクス全集』(予定では全11冊だが、10冊のみ刊行、残りは而立社から刊行された)の刊行を開始。初めて日本語に完訳された『資本論』などが含まれた。[5]
  • 1921年 - 10月27日、『ウェルズ世界文化史大系』(全6巻)の刊行を開始。[4]
  • 1922年 - 第一線の学者の編纂による『日本文化史』(全12巻)を刊行。[注釈 1]
  • 1923年の関東大震災後も営業を続けていたが、1930年頃になって消滅した。

主な出版物

マルクス全集の官報公告(1920年)。
  • 『歴史と地理』シリーズ - 1917年11月(1巻1号)から1934年10月(34巻6号)まで発行されたシリーズ[注釈 2]。1933年(32巻6号)までは史学地理学同攷会の編纂[2]
  • 経済学者カール・マルクスの著書をまとめた『マルクス全集』(予定は全11冊)は官報にも広告が掲載された。[5]第10巻.佐野学訳「経済学批判」など、第11巻.河野密訳「神聖家族」などの二冊を除いては、高畠素之訳「資本論」で最初の1冊のみ福田徳三監修だったが、2冊目からは高畠単独訳となり、第一巻から第四巻迄順に刊行後第七巻から第九巻を刊行したのちに第五巻を刊行している。その後而立社に移り第六巻と二つ目の第七巻が刊行され完結した。(第七巻と銘打たれたものが二つある。結果全12冊となる。)
  • 『日本文化史』(全12巻) - 日本研究資料として米国の大学でも取り上げられた。[6]

脚注

出典
注釈
  1. ^ 巻号順に安藤正次、西村為之助、太田亮西岡虎之助竹岡勝也竜粛中村直勝魚澄惣五郎花見朔己、白沢清人、清原貞雄時野谷常三郎
  2. ^ ただし1919年12月(4巻5号以降)は星野書店から発行された。

参考文献

外部リンク



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