大財聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 22:16 UTC 版)
佐賀藩は藩士の教育施設として、2代藩主鍋島光茂が元禄4年(1691)に二の丸聖堂を創立した(3代藩主鍋島綱茂が元禄10年に聖堂を鬼丸町に移転して名称も鬼丸聖堂と変更)。これに対し町民も学べる施設として、御用商人であり儒学者であった武富市郎左衛門(咸亮または廉斎)が元禄7年(1694)に民間向けの大財聖堂を建設した。これに対し、三代藩主鍋島綱茂は孔子像を、支藩蓮池二代藩主鍋島直之は顔子像を、久保田邑主村田政盛は曽子像を寄贈した。現在大財聖堂址周辺は住宅地となっており、またその場を示していたた「大宝聖林碑」も昭和28年ごろに多久市の西渓公園に移されたため正確な場所は不明となっているが、1丁目に「大財聖堂址」の石碑があり、その近くには「れんさい橋」が残っている。
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