大谷茂次郎
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大谷 茂次郎(おおたに しげじろう、生没年不詳)は、幕末の土佐藩士、朱子学者。
文政12年(1829年)講習勤並通鑑綱目会頭を命じられ、以降、天保5年(1834年)教授役、天保7年(1836年)藩主相手役、文久元年(1861年)文村司業且小目付を歴任する。一方で、文政12年に土佐郡小高坂村越前町に漢学習字の私塾を開いており、息子の謙作と共に経営した。塾では四書五経と歴史の講義を行っており、天保10年(1839年)頃に最盛期を迎えたと記録されている。没年は不詳だが、私塾は文久2年(1862年)に閉塾している。
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