大蔵頼季
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:08 UTC 版)
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時代 | 鎌倉時代中期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 文永9年9月2日(1272年10月2日)[1] |
別名 | 次郎左衛門尉 |
主君 | 北条時宗 |
氏族 | 野与党大蔵氏[2] |
父母 | 大蔵時季[1] |
子 | 西脇季忠、光頼[1] |
大蔵 頼季(おおくら よりすえ)は、鎌倉時代中期の武士。御内人。
略歴
大蔵氏は武蔵七党の野与党の一族で、武蔵国埼玉郡大蔵(現・埼玉県久喜市菖蒲町三箇)の武士。頼季のころには得宗被官となっていた[2][3]。文永9年(1272年)2月11日、渋谷朝重・四方田時綱・石河神次左衛門尉・薩摩左衛門三郎とともに、謀反を疑われた北条時章を誅殺した(二月騒動)。しかし後に時章は無実だったことが判明したため、頼季ら討手5人はその責任を追及されて斬首刑となった[4]。
脚注
出典
参考文献
- 福田豊彦 「野与党」、国史大辞典編集委員会編 『国史大辞典』 10巻 吉川弘文館、1989年。ISBN 9784642005104。
- 小野文雄編 『埼玉県の地名』 平凡社〈日本歴史地名大系〉、1993年。 ISBN 9784582490114。
- 太田亮 『姓氏家系大辞典』 1巻 角川書店、1963年。 ISBN 9784040302102。
- 『群書類従』26、八木書店、2013年。 ISBN 9784840631372。
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