大石氏 (地下家)とは? わかりやすく解説

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大石氏 (地下家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 23:01 UTC 版)

氏族 > 日本の氏族 >  > 大石氏 (地下家)
大石氏
氏姓 大石宿禰
始祖 武内宿禰
出自 皇別
種別 皇別
本貫 近江国栗太郡大石?
著名な人物 大石業弘
後裔 堀川氏(地下家
姉小路氏(地下家
凡例 / Category:氏

大石氏(おおいしし)は「大石」をの名とする氏族宿禰

概要

地下家伝』には「本武内宿禰系中冒大石姓」とあり、武内宿禰の末裔を称していたことがわかる[1]

奈良時代の大石氏

神亀3年(726年)の「山背国愛宕郡雲下里計帳」には、3歳の大石主寸百嶋、大石主寸広田売、大石主寸小養売、大石主寸真養売、大石主寸広椅売の名前が見える[2]村主姓の大石氏は『坂上系図』所引姓氏録逸文(阿智王条)に「阿智王誉田天皇の御世に、本国の乱を避けて、母、並に妻子、母の弟、千興徳、七姓の漢人等を率て帰化り。(中略)阿智使主、奏して言さく、臣、入朝の時に、本郷の人民、往に離れ散れり。今聞くに、あまねく高麗、百済、新羅等の国に在りと。望み請ふらくは、使を遣して喚び来さしめむとまうす。天皇、即ち使を遣して喚ばしめたまふ。大鷦鷯天皇(仁徳)の御世に、落を挙つて随ひ来く。今の(中略)大石村主(中略)等は、是、其の後なり。」とあり、佐伯有清近江国栗太郡大石を本拠地であると推定しているが、宿禰姓の大石氏との関連は不明である[3]

天平6年(734年)には造弩生・大石村主大国の名前が見える[4]

天平9年(737年)には因幡国史生として大初位上・大石村主広道の名前が見える[5]

天平10年(738年)には美濃少目を務める大石真人の名前が見える[6]

天平11年(739年)には4月9日には大石毛人が写経をしている[7]

天平18年(746年)12月には大石蓑万呂の名前が見える[8]

天平20年(747年)の「写一切経用紙検注帳」には大石広万呂、写書所解には大石諸上の名前が見える[4]

天平感宝元年(749年)6月24日には史生従七位下の大石村主大鯖が署名している[9]

天平勝宝2年(750年)8月の「経師上日帳」には大石村主諸甘の名前が見える[10]

天平勝宝4年(752年)には大石飽田万呂や皷吹司・外従五位下の大石某の名前が確認できる[11]

天平勝宝6年(754年)には大石広山の名前が確認できる[11]

天平神護元年(765年)には大石船主の名前が確認できる[12]

また、天平勝宝8年(754年)から天平宝字6年(762年)にかけて左京人で従八位上の大石(能歌)阿古麻呂や大石堅魚麻呂が見える[13][14]

時期は不明だが、史生土師氏の舎人を務めた大石船□がいた[15]

平安時代の大石氏

延暦23年(803年)6月20日には治部史生・大石豊主が、承和8年(841年)1月16日には筑前少目大石村主田折麿が、貞観12年(870年)4月23日には大石村主且山が、寛平9年(897年)3月7日には出羽国司を務める正六位上・大石漢人益德が確認できる[16][17]

延長6年(928年)1月21日には左兵衛少尉・大石峯吉が確認できる[18]

天慶9年(946年)8月8日には太政官史生・大石忠利が確認できる[19]

天暦10年(956年)5月1日には左大史を務めた大石宿禰(名不詳)が確認できる[20]

康保4年(967年)10月28日には左史生・大石清廉が確認でき、翌3月7日には宣旨で「直撰国史所事」を任じられている[19]

安和2年(969年)7月8日には「大膳官人代」を務めている大石某がいる[19]

天禄3年(971年)7月7日には左衛門志・大石富門が見える[19]

寛弘7年(1010年)2月20日には大石保近の名前が確認できる[19]

長和3年(1014年)5月16日、将曹・大石奉吉の名前が確認できる[19]

治安3年(1023年)11月14日、には左将曹(府生)の大石久遠が見える[19]

長元7年(1034年)2月8日には播磨国餝東郡に大石頼安が住んでいたという[19]

長元9年(1036年)5月27日には、左近府生の大石久堅の名前が見える[19]

長治元年(1104年)6月9日には大石為国の名前が見える[19]

天承2年(1132年)8月には大石光安の名前が確認できる[19]

仁安3年(1168年)4月7日から承安4年(1174年)11月21日にかけて大石則直(左近府生則直・将曹則直・左近将曹則直・左近官人則直)が活動している[19]

元暦元年(1184年)11月21日から建久元年(1190年)1月3日にかけて大石久直(左近官人久直・召府庁頭久直・左近将曹久直)が活動している[19]

他にも、12世紀には左近庁頭・大石久末が確認できる。「大石氏系図」によると祖は大石久遠であるとされ、久方-近方・・・末行(久方の子)-久末・・・光方(父は楽人助種)と続いたとされる[21]

鎌倉時代以降の大石氏

建久9年(1198年)2月6日から建仁2年(1202年)3月21日にかけて大石久景(府生大石久景・庁頭府生久景・左近府生久景・左近将曹大石久景)が活動している[19]

建永2年(1207年)6月28日には、正六位上で将曹を務める大石宿禰(名不詳)が確認できる[22]

貞応元年(1222年)12月11日には大石是友の私領を相伝した大石友満の名前が確認できる[23]

貞永元年(1232年)12月5日には左近将曹・大石久綱の名前が確認できる[23]

天福元年(1233年)6月18日には大石常末が自領を売却している[23]

弘長2年(1262年)12月には出納左近衛府生の大石某が洞院実雄の下で活動している[23]

文永5年(1268年)3月30日には将曹大石某が確認できる[23]

永仁3年(1295年)9月15日には大石助光の名前が確認できる[23]

文保2年(1318年)には大石国吉の名前が確認できる[23]

検非違使を務めた大石氏

代々検非違使を務めた家系は、大石業弘を祖とする。業弘は従五位下に叙され検非違使、御蔵出納、隠岐守、摂津守、右衛門尉を歴任したという。業弘の子は大石茂弘、茂弘の子は大石藤弘で、藤弘は徳治元年(1306年)2月11日には官史生として見え、正和3年(1314年)1月28日に正六位上・右衛門府生、検非違使に叙任されている。藤弘からは大石親弘[注釈 1]-大石時弘[注釈 2]-大石守弘-大石嗣弘-大石延弘-大石氏弘-大石季弘-大石長弘と続き、長弘からは堀川氏を称した[1]

また、庶流の大石氏には、大石時弘-大石員弘─大石是弘─大石夏弘─大石祐弘─大石泰弘-大石国弘-大石豊弘(以降堀川氏)の系統がある[1]

地下家伝』に見えない大石氏としては、

  • 応安4年(1371年)1月14日に名前が見える大石範弘
  • 応永33年(1423年)3月27日に庁頭、正長元年(1428年)7月28日に検非違使・右衛門尉であった大石叙弘
  • 正長2年(1429年)8月29日に志(省庁は不明)であった大石惟弘

がいる[23]

脚注

注釈

  1. ^ 暦応3年(1340年)12月12日に左衛門府志であった
  2. ^ 左衛門尉六位・紀時弘

出典

  1. ^ a b c 三上景文『地下家伝 第8-13(日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)
  2. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [2]
  3. ^ 佐伯有清『新撰姓氏録の研究』(吉川弘文館、1962年)
  4. ^ a b 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [3]
  5. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [4]
  6. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [5]
  7. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [6]
  8. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [7]
  9. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [8]
  10. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [9]
  11. ^ a b 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [10]
  12. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [11]
  13. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [12]
  14. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [13]
  15. ^ 東大史料編纂所データーベース「奈良時代古文書フルテキストデータベース [14]
  16. ^ 東大史料編纂所データーベース「古文書フルテキストデータベース[15]
  17. ^ 東大史料編纂所データーベース「平安遺文フルテキストデータベース[16]
  18. ^ 東大史料編纂所データーベース「編年史料カード(古代関係)データベース[17]
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m n 東大史料編纂所データーベース「横断検索[18]
  20. ^ 東大史料編纂所データーベース「編年史料(古代)編纂支援資源化データベース MIDOH[19]
  21. ^ 中原俊章『中世公家と地下官人』(吉川弘文館、1987年)
  22. ^ 東大史料編纂所データーベース「編年史料(古代)編纂支援資源化データベース MIDOH[20]
  23. ^ a b c d e f g h 東大史料編纂所データーベース「横断検索[21]



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