大沢城 (丹波国)とは? わかりやすく解説

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大沢城 (丹波国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/07 04:14 UTC 版)

大沢城
兵庫県
城郭構造 山城
築城年 永禄年間(1558 - 1570年)?[1]
主な城主 酒井勘四郎
廃城年 不明
遺構 削平地、竪堀[2]
位置 北緯35度3分0.3秒 東経135度10分21.5秒 / 北緯35.050083度 東経135.172639度 / 35.050083; 135.172639座標: 北緯35度3分0.3秒 東経135度10分21.5秒 / 北緯35.050083度 東経135.172639度 / 35.050083; 135.172639
地図
大沢城
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大沢城(おおざわじょう)は、丹波国多紀郡西部(現在の兵庫県丹波篠山市大沢[注釈 1])にあった日本の城山城)。丹波酒井氏の一族、初田酒井氏の詰城と伝わる[2]

概要

230mの城域を持つ中規模の城郭で、標高422m、比高222mの山頂に所在した[2]

酒井勘四郎の居館と伝わる初田館(丹波篠山市初田)の西に位置し、勘四郎は戦時に大沢城に拠ったとされる[3]

大沢城から東北に尾根を下った場所には、酒井勘四郎の被官・杉本与右衛門が城主を務めた禄庄城がある[4]。また、禄庄城の北部の同じ大沢内に佐幾山城があり、禄庄城の出城の役割を果たしていた[5]

大沢城の南900mには南矢代城(丹波篠山市南矢代)があり[2]、矢代酒井氏の酒井氏治が守っていた[6]。酒井氏は、大沢城の西方にある高仙寺城(丹波篠山市見内[7])を酒井党結束の中核とし、大沢城・南矢代城・油井城・栗栖野城などの酒井一族の城により、永禄年間(1558 - 1570年)以後、酒井郷の守りを固めたものとみられる[8]

脚注

注釈

  1. ^ 旧・多紀郡丹南町大沢奥谷[2]

出典

参考文献

  • 高橋成計 著「城郭データ」、八上城研究会 編 『戦国・織豊期城郭論 丹波国八上城遺跡群に関する総合研究』和泉書院〈日本史研究叢刊12〉、2000年。ISBN 4-87088-996-X 
  • 丹南町史編纂委員会 編 『丹南町史 上巻』丹南町、1994年。 



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