大枝直臣
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/02 09:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動大枝 直臣(おおえ の なおおみ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。名は真臣とも記される。能登守・大枝真仲の子孫とする系図がある[1]。官位は従五位下・駿河権守。
経歴
承和13年(846年)従五位下に叙爵し、備後守に任ぜられる。嘉祥2年(849年)備後守に重任。
斉衡3年(856年)鼓吹正に任ぜられると、のち玄蕃頭・諸陵頭と文徳朝末にかけて京官を歴任する。天安3年(859年)河内守に転じると、貞観3年(861年)越中介次いで駿河権守と、清和朝では再び地方官を務めている。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和13年(846年) 正月7日:従五位下。正月13日:備後守
- 嘉祥2年(849年) 正月13日:備後守
- 斉衡3年(856年) 2月8日:鼓吹正
- 天安元年(857年) 11月25日:玄蕃頭。12月9日:諸陵頭
- 天安3年(859年) 2月13日:河内守
- 貞観3年(861年) 正月13日:越中介。2月25日:駿河権守
脚注
- ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻10,土師連諸流
参考文献
- 大枝直臣のページへのリンク