大枝永山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/04 04:34 UTC 版)
Jump to navigation Jump to search大枝 永山(おおえ の ながやま、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。正六位上・大枝長人の子。官位は従五位下・肥後守。
経歴
従五位下に叙爵後、平城朝の大同3年(808年)大学頭に任ぜられる。
嵯峨朝初頭の大同5年(810年)従五位上、翌弘仁2年(811年)大判事に叙任される。弘仁3年(812年)正月に肥後守として地方官に任ぜられたのち、一旦9月に刑部大輔として刑部省官人に復すが、翌弘仁4年(813年)2月に肥後守に再任されている。同年11月各国に移配させた夷俘に対する教化や、夷俘からの要請に対応するための専当官が任命された際、筑後守・弟村王らとともに永山もこれを兼ねた。
官歴
『日本後紀』による。
- 時期不詳:従五位下
- 大同3年(808年) 6月1日:大学頭
- 大同5年(810年) 4月19日:従五位上
- 弘仁2年(811年) 正月11日:大判事
- 弘仁3年(812年) 正月12日:肥後守。9月27日:刑部大輔
- 弘仁4年(813年) 2月21日:肥後守
系譜
脚注
参考文献
- 大枝永山のページへのリンク