大村氏から養子として後藤氏へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 08:54 UTC 版)
「後藤貴明」の記事における「大村氏から養子として後藤氏へ」の解説
貴明は大村純前の庶子であったが、有馬晴純の子(大村純忠)が大村氏の跡継ぎになるに及び、天文14年(1545年)、後藤氏に養子に出された。大村氏家臣団の中には、もともと跡継ぎであった貴明を追い出す原因となった純忠に反発する動きがあり、また純忠がキリシタンに入信したこともあって、貴明によしみを通じる者が続出したため、貴明は純忠としばしば対立することとなる。このため、ルイス・フロイスの『フロイス日本史』にも、「後藤殿」として大村氏と敵対する立場でしばしば登場する。 なお永禄3年(1560年)、貴明は当時実子がなかったことから、平戸城主の松浦隆信から惟明を養子に迎えている。
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