大川錠吉とは? わかりやすく解説

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大川錠吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/01 06:53 UTC 版)

大川 錠吉(おおかわ じょうきち、弘化3年6月9日[1]1845年7月13日) - 大正15年(1926年3月6日[1][2][3])は、明治時代から大正時代にかけての書籍商、出版者。聚栄堂と号し[1]、のちに大川屋書店となる[1]

略歴

弘化3年(1846年)に武蔵国入間郡横沼村に生まれた[1]。幼時に父に従って江戸に出て、八代目朝倉屋久兵衛に奉公した後[1]慶応4年(1868年)8月に独立し、深川西町において貸本業を営んだ[1]。明治2年(1869年)に浅草区三好町7番地に移った[1]。貸本業を明治27~28年(1894~1895年)まで継続しながら、並行して書籍の出版・取次・販売業を開始する[1]。大川の出版物のほとんどは求版と相版で、自ら出版したものはわずかしかない[1]

明治25年(1892年)から明治31年(1898年)まで、東京地本彫画営業組合評議員を務めた後、明治32年(1899年)から大正元年まで同頭取を務めた。明治27年(1894年)および明治34年(1901年)には、東京書籍出版営業者組合の協議員を務め、明治35年(1902年)から大正元年まで、東京書籍商組合の評議員を務めた。明治38年(1905年)から大正10年(1921年)の間、東京地本彫画営業組合の組合長を務めた。

死後、養子の米吉が大川屋が継いだ[1]

刊行した作品

松永瑠成『貸本問屋と貸本文化』に、初代大川屋錠吉の出版物が一覧化されている[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 松永瑠成『貸本問屋と貸本文化』勉誠出版、2025年3月、267頁。 
  2. ^ 『大正過去帳 物故人名辞典』337頁。
  3. ^ デジタル版 日本出版百年史年表

参考文献

  • 東京書籍商組合編 『東京書籍商組合史及組合員概歴』 東京書籍商組合、1912年
  • 稲村徹元、井門寛、丸山信共編 『大正過去帳 物故人名辞典』 東京美術、1973年
  • 永田生慈 『資料による近代浮世絵事情』 三彩社、1992年



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