大寧寺 (横浜市)とは? わかりやすく解説

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大寧寺 (横浜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 22:34 UTC 版)

大寧寺 たいねいじ
本堂
所在地 神奈川県横浜市金沢区片吹61-5
位置 北緯35度21分03.5秒 東経139度37分27.5秒 / 北緯35.350972度 東経139.624306度 / 35.350972; 139.624306座標: 北緯35度21分03.5秒 東経139度37分27.5秒 / 北緯35.350972度 東経139.624306度 / 35.350972; 139.624306
山号 海蔵山
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗建長寺派
創建年 鎌倉時代初期
開基 源範頼
札所等 金沢三十四所観音霊場第13番札所
文化財 木造薬師如来立像、木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(以上、横浜市指定有形文化財)
大寧寺
大寧寺 (横浜市)
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大寧寺(たいねいじ)は、神奈川県横浜市金沢区にある臨済宗建長寺派寺院

歴史

鎌倉時代初期、源範頼の開基である。旧所在地は同市同区六浦東の現在の関東学院六浦小学校のあたりに位置していた。当初、この場所には真言宗の「薬師寺」があった。その後、薬師寺は同区寺前に移転して現在は薬王寺となっている。その旧薬師寺の境内跡に建てられたのが当寺の起源である[1]

範頼は一般的には誅殺されたといわれているが、その後も生き延びたという生存説がある。当地に伝わる伝説によれば、範頼主従は現在の横須賀市追浜に上陸、漁師の「平兵衛」に匿われたが、発覚したため当地において自害したと伝えられる。「追浜」という地名は、われていた範頼主従が上陸したというのが由来である。その範頼の菩提を弔うために創建された[2]

1943年昭和18年)、海軍追浜飛行場拡張工事のため、現在地に移転した[2][1]

文化財

  • 木造薬師如来立像(横浜市指定有形文化財 2004年(平成16年)11月5日指定)[3]
  • 木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(横浜市指定有形文化財 2004年(平成16年)11月5日指定)[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 大寧寺横浜金沢観光協会
  2. ^ a b 稲葉博 著『かながわの寺と社 その成立と縁起(かもめ文庫‐かながわ・ふるさとシリーズ18)』神奈川合同出版、1984年、112-114p
  3. ^ a b 国・神奈川県および横浜市指定・登録文化財目録横浜市、19p

参考文献

  • 稲葉博 著『かながわの寺と社 その成立と縁起(かもめ文庫‐かながわ・ふるさとシリーズ18)』神奈川合同出版、1984年



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