大台ケ原の伐採
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:26 UTC 版)
1914年(大正3年)、四日市製紙は東大台ケ原の自然林8000町歩を買収。現地から三重県相賀町に至るインクライン、索道、軽便鉄道を組み合わせた搬出路を建設して伐採を始めた。これに対して白井光太郎が問題提起の演説会を行い、大台ケ原の保護を目指す機運が高まったが、その間、四日市製紙は富士製紙と合併。1925年(大正14年)には割高な伐出経費と木材市況の低迷から伐採を中止するに至った。
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