大口清信とは? わかりやすく解説

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大口清信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 05:31 UTC 版)

 
大口清信
時代 江戸時代中期
生誕 不詳
死没 享保16年(1731年8月10日
改名 長太郎(幼名)→茂右衛門(通称
別名 姓名:藤原清信
幕府 江戸幕府
主君 蜂須賀家
阿波徳島藩
氏族 藤原秀郷流大口氏
父母 父:大口清行、母:山田権左衛門妹
兄弟 清信飯沼長高、先山親行室、梯政休、佐野利重室
黒部市郎左衛門娘
清紀、清紀室
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大口 清信(おおぐち きよのぶ、? - 享保16年(1731年8月10日)は、江戸時代中期ごろの武士[1]通称茂右衛門[1]阿波徳島藩大口氏4代当主[1]

経歴

清信は、阿波徳島藩家臣大口清行の長男に生まれる[1]。母は山田権左衛門の妹[1]幼名大口長太郎といい、元服して大口茂右衛門清信と名乗った[1]。父の清行とともに徳島藩蜂須賀家に仕えた[1]

寛文10年(1670年11月6日、清行が病死すると、同11年(1671年1月1日家督を継ぐ[1]。阿波大口家の4代当主となって、蜂須賀家の城下に250石を領した[1]。蜂須賀家の小姓であったともいう[1]。清信は男子が生まれなかったため、娘を山田宗充の三男に嫁がせて養子に迎え入れた[1]。享保16年(1731年)8月10日、病死した。

氏族

大口氏は、藤原秀郷の末裔とされ、伊勢国大口郷(現在の三重県松阪市大口町付近)に本拠を置く土豪となった[1]。つまり本姓藤原であるため、正式な姓名は藤原清信である。阿波大口家は代々阿波徳島藩に仕えた[1]。清信の跡を継いだ大口清紀は養子であるため、男系の系統は清信の代で断絶した[1]

系譜

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『蜂須賀家家臣成立書并系図』徳島大学附属図書館蔵



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