大口清行とは? わかりやすく解説

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大口清行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 05:37 UTC 版)

 
大口清行
時代 江戸時代前期から中期
生誕 不詳
死没 寛文10年(1670年11月6日
改名 勝九郎(幼名)→伊兵衛(通称
別名 姓名:藤原清行
幕府 江戸幕府
主君 蜂須賀家
阿波徳島藩
氏族 藤原秀郷流大口氏
父母 父:大口清秀、母:南半左衛門娘
兄弟 長濱義秀室、清行、村上玄節室、村上玄節後室、正普、先山尚親、久和、成房、村上弥一右衛門室
正室:渡瀬由則妹
継室:山田権左衛門妹
清信飯沼長高、先山親行室、梯政休、佐野利重室
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大口 清行(おおぐち きよゆき、? - 寛文10年(1670年11月6日)は、江戸時代前期から中期の武士[1]阿波徳島藩大口氏3代当主[1]通称伊兵衛[1]

経歴

清行は、阿波徳島藩家臣大口清秀の嫡男に生まれる[1]。母は南半左衛門の娘[1]幼名大口勝九郎といい、元服して大口伊兵衛清行と名乗る[1]。父の清秀とともに徳島藩蜂須賀家に仕えた[1]

渡瀬由則の妹を正室としたが離別し、継室として叔父・大口信賢の友人である山田権左衛門の妹を迎え入れた[1]

寛文8年(1668年1月4日、清秀が病死すると家督を継ぎ、大口家の当主となって徳島城下に250石を領するも、2年後の寛文10年(1670年)11月6日に病気で急死した[1]

氏族

大口氏は、藤原秀郷の末裔とされ、伊勢国大口郷(現在の三重県松阪市大口町付近)に本拠を置く土豪となった[1]。つまり本姓藤原であるため、正式な姓名は藤原清行である。清行の子孫も代々阿波徳島藩に仕えた[1]。だが清行の弟・大口成房は松平信綱に仕えて関東武蔵国に移ったため、この代で大口家は阿波大口家と武蔵大口家に分かれた。

系譜

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『蜂須賀家家臣成立書并系図』徳島大学附属図書館蔵



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