大原真福
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 20:52 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動大原 真福(おおはら の まさき、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。氏姓は大原真人だが一時服部真人を称した。弾正尹・大原桜井の子。官位は従五位上・民部大輔
経歴
称徳朝にて大原真人姓から服部真人姓に改姓させられるが、光仁朝の宝亀3年(771年)本姓の大原真人姓に復す。
桓武朝の延暦16年(797年)従五位下に叙爵し、平城朝の大同3年(808年)備後守に任官する。嵯峨朝では弘仁3年(812年)従五位上に昇叙され、弘仁5年(814年)民部大輔に任ぜられた。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:大原真人から服部真人に改姓
- 宝亀3年(771年) 4月3日:復本姓大原真人
- 時期不詳:正六位上
- 延暦16年(797年) 正月7日:従五位下
- 大同3年(808年) 9月5日:備後守
- 弘仁3年(812年) 正月7日:従五位上
- 弘仁5年(814年) 7月10日:民部大輔
系譜
脚注
参考文献
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