大円寺_(さいたま市)とは? わかりやすく解説

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大円寺 (さいたま市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/03 06:45 UTC 版)

大圓寺
所在地 埼玉県さいたま市見沼区風渡野335
位置 北緯35度56分05秒 東経139度39分58秒 / 北緯35.93472度 東経139.66611度 / 35.93472; 139.66611座標: 北緯35度56分05秒 東経139度39分58秒 / 北緯35.93472度 東経139.66611度 / 35.93472; 139.66611
山号 鷲嶽山[1]
宗派 曹洞宗[1]
創建年 不詳
開山 陽厳宗春[1]
開基 太田資高[1]、または子の康資の妻陽光院
正式名 鷲嶽山大圓寺
札所等 関東九十一薬師霊場28番札所
文化財 大圓寺古天明霰釜、大圓寺木造聖観音菩薩坐像(以上、さいたま市指定有形文化財)
法人番号 2030005000313
大円寺
大円寺 (埼玉県)
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大圓寺(だいえんじ)は、埼玉県さいたま市見沼区にある曹洞宗寺院

歴史

太田資高、または子の康資の妻陽光院の開基である。両者の在世年代から戦国時代後期以降に創建されたものと推測される[2]

陽光院は当寺に参拝する際に、太田道灌位牌に茶をたてたという。その時に用いられた茶釜「古天明霰釜(こてんみょうあられがま)」が残されており、さいたま市の文化財に指定されている[2]

明治初期、当寺に風渡野学校(現・さいたま市立七里小学校)が置かれていた。初代校長(大教授心得)は、後に内閣総理大臣となる清浦奎吾である[2][3]

文化財

  • 大圓寺古天明霰釜(さいたま市指定有形文化財 昭和36年1月19日指定)[4]
  • 大圓寺木造聖観音菩薩坐像(さいたま市指定有形文化財 平成7年4月3日指定)[5]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 風渡野村.
  2. ^ a b c サンケイリビング 編『埼玉ふるさと散歩(大宮市)』さきたま出版会、1980年、73-74p
  3. ^ 七里小の地域と歴史さいたま市立七里小学校
  4. ^ 大圓寺古天明霰釜さいたま市
  5. ^ 大圓寺木造聖観音菩薩坐像さいたま市

参考文献

  • サンケイリビング 編『埼玉ふるさと散歩(大宮市)』さきたま出版会、1980年
  • 「風渡野村 大園寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ145足立郡ノ11、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/16 



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