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大内覚之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 20:03 UTC 版)

大内 覚之助(おおうち かくのすけ、(1898年1月[1] - 1965年3月16日[2])は、日本教育者英語学者

経歴

大内義生の長男として[1]福岡県朝倉郡朝倉町大字古毛(現・朝倉市古毛)に生まれる。福岡県立朝倉中学校(現・福岡県立朝倉高等学校)、1920年広島高等師範学校広島大学教育学部の前身)文科第二部英語科を経て[2]1924年京都帝国大学文学部文学科英文学専攻を卒業[3][1]

旧制福岡高等学校教授を経て[2]1941年福岡県女子専門学校(現・福岡女子大学)教授兼福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)校長に就任[4]

戦後、福岡商科大学(現・福岡大学)教授、熊本女子大学(現・熊本県立大学)教授を歴任した後、1961年久留米大学附設高等学校校長に就任[2]

1965年心臓病のため死去。葬儀は久留米大学附設高等学校葬をもって行われた[2]

出典

  1. ^ a b c 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年)オ-73頁
  2. ^ a b c d e 英語青年」第111巻第5号(1395)(研究社、1965年)339頁
  3. ^ 『京都帝国大学一覧(自大正14年至大正15年)』(京都帝国大学、1926年)卒業生姓名640頁
  4. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)歴代総受持・館長15頁



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