夏の山国母いてわれを与太と言う
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
皆之 |
前 書 |
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評 言 |
母親にとって、子供はいくつになっても子供という。 ここでは「与太」といいながら、わが子を眼を細めて見ている様がうかがわれる。 作者もまた「与太」と言われることに満足している風が楽しい。 「夏の山国」と、ややぶっきらぼうに置かれた季語が、おおらかで言い換えれば、いかにも「与太」らしい。(「与太」は東京落語の与太郎から出た言葉。) この句には書かれていないが、すでに百歳を超えた母なのだ。 次の句のように老母と言いながら、それがテーマになる幸せ。 老母指せば蛇の体の笑うなり 蝉時雨餅肌(もちはだ)の母百二歳 おうおうと童女の老母夏の家 白餅(しろもち)の裸の老母手を挙げる この句には谷佳紀の鑑賞があった。「久々に訪ねてみれば、開け放された家の中で、搗きたての餅のようにふっくらぺちょんと坐り、暑さを避けている裸の老母。おお来たか、私は元気だよというようにふんわり手を挙げた。」(「海程」)とあるが、いかにも白餅がいい。兜太(とうた)の母は、蛇・蝉時雨・裸といつも夏の風景のなかで笑っている。 |
評 者 |
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備 考 |
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