士分の内室の処刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/15 19:53 UTC 版)
「小諸藩牧野氏の家臣団」の記事における「士分の内室の処刑」の解説
藩主・牧野氏が小諸入封後に、士分たる小諸家臣の内室(妻)に、藩庁が死を命じた数種類の一次史料が、現存している。士分の内室(妻)を処刑する場合は、大目付に身柄を引き渡す場合と、当主自らが、手にかけるよう命じられるときがあった。士分の内室(妻)が死を命じられたことにより、当該家臣は、持高減石・格式降格や、押し込み・謹慎などの懲戒処分を受けることはあっても、内室(妻)が死を命じられた罪状を、唯一の理由として、改易・取り潰しとなった例はなかった。従って、内室(妻)が、死を命じられた小諸家臣の家系は、ほかに特段の理由がなければ、廃藩(明治4年)まで存続した。一次史料からは、婚家が迷惑を受けないように、処刑までに必ずしも離縁しているとは、限らないことがわかる。なお上級士分で、内室(妻)が死を命じられたことは、なかったものとみられる。
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