鹽見波浦右エ門
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鹽見波 浦右エ門(しおみなみ うらえもん)は、江戸時代の大相撲の第26代大関。番付上は「南部」頭書となっていることから、南部相撲集団所属の力士と思われる[1]。
明和4年(1767年)春場所(3月)、東大関として初土俵を踏んだが、相撲は1番も取らず1場所だけで引退してしまった。典型的な看板大関と見られる。
主な成績
- 通算成績:0勝0敗8休
春場所 | 冬場所 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
1767年 | 東大関 引退 0–0–8 |
x | ||||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
脚注
- ^ 「相撲」編集部編 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
関連項目
外部リンク
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