堺事件との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:01 UTC 版)
慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの後、大坂町奉行に代わり堺を警備していた土佐藩兵と測量後上陸していたフランス帝国兵との間に起こったフランス兵の殺傷事件(フランス兵11名死亡)である堺事件の折、明治政府がフランス公使ロッシュの要求を容れて20名が切腹することになり、29名の者が、当社で籤を引いて決め、翌日堺の妙国寺へ護送された。フランス兵の死亡人数と同じ11名が切腹したところで、フランス側から死刑執行中止の要請があり9名は助命された。
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