堀田修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/31 15:32 UTC 版)
この存命人物の記事には、出典がまったくありません。 (2025年1月) |
この記事には、百科事典には本来必要のないファンサイト的な内容の記述が含まれています。特定の人物およびグループに対しての、百科事典に相応しくない記述や内容の過剰な記述は歓迎されません。 |
堀田 修 ほった おさむ | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
生年月日 | 1973年8月7日(51歳) |
出身地 | 千葉県八千代市 |
FIM 世界ラリーレイド選手権での経歴 | |
活動時期 | 1999年 - 2008年 |
所属 | OHPLUS・KTM |
シリーズ最高順位 | ダ・カールラリー2006 市販車451cc以上クラス3位 () |
過去参加シリーズ | |
2002年 - 2006年 2001年 - 2006年 |
ダカール・ラリー FIM 世界ラリーレイド選手権 |
堀田 修(ほった おさむ)[1]は、海外のラリーレイドというカテゴリのモータースポーツにバイクにて参戦し、好成績を残す。職業はITエンジニアとして個人や企業で働く、休日はモトクロスやBMX等で練習を積む人物である。FIM 世界ラリーレイド選手権やダカール・ラリーのオートバイ部門にて活動するライダー[2][3]。
来歴
- 千葉県八千代市生まれ。 父が自動車整備業を営んでいた為、幼い頃より機械や乗り物に触れる。八千代市立八千代台小学校、八千代市立八千代台西中学校、千葉県立八千代東高等学校と進学。
- 16歳の時バイクに出会う。原付バイクで砂浜を走りオフロードの楽しさを知る。千葉大学工学部機械工学科へ入学、バイクサークルに所属し、18歳にて初レース。その後エンデューロやモトクロスへ出場、レース活動を活発化させる。大学卒業後、システムエンジニアとして勤務。
- 国内のラリーレイドを経験し、1999年海外ラリーへ初出場。その後、いくつかのクロスカントリーラリー・ワールドカップに出場しつつ、ダ・カールラリーに2002年・2004年・2006年に出場し好成績にてフル完走[4]。
- その後、オフロードモーターサイクル業界にて、フォトジャーナリスト・インプレッションライダーなどとして、メディアとしてはオフロードバイク誌「GARRRR(ガルル)」やオフロードバイク誌「BACKOFF(バックオフ)」を始めとする各種オートバイ雑誌にコンテンツを提供[5]。
- 上記と並行して、ITエンジニアとして、日本国内および日本国外の企業や個人や国家機関に対して各種ITサポートを提供している[6]。
- 2025年現在 エチオピア在住。
ラリーレーサー詳細
- 1990年 免許取得 初めてバイクに乗る。オフロードに目覚める。
- 1992年 初レース、エンデューロレース出場。
- 1995年 ロシアンラリー ・完走。
- 1996年 日石ツ-ルド・ブルーアイランド ・総合41位。
- 1999年 オーストラリアンサファリ 1999 FIA公認400ccマラソンクラス2位 / 総合13位
- 初の海外ラリー、致命的なエンジンの不具合をフォローし無事ゴール。
- 日本とのスケールの違いを感じる。トラブルを抱えながらも日本人の中では2番目の好成績。
- 2000年 FIMクロスカントリーラリー世界選手権 最終戦UAE デザートチャレンジ 2000 ・ 400ccクラス2位 / 総合20位
- 壮大な砂丘を前に不安があったが、満喫し走ることが出来き、砂丘に魅力を感じる。
- 日本人としては過去最高位の成績。世界のレベルを身をもって学ぶ。
- 2000年 MFJ モトクロス国際B級 昇格
- 2001年 FIMクロスカントリーラリー世界選手権 最終戦、UAE デザートチャレンジ 2001 ・ リタイヤ
- 総合10位以内の順位を残す手ごたえはあったものも、トラブルが続きリタイア。
- 2002年 パリ・ダカールラリー2002 400ccクラス3位 / 総合31位
- レース前半、風邪で高熱が続く中、400ccクラスのステージ優勝を飾り、クラストップ争いを繰り広げた。
- 後半、体調不良やクラッシュが重なりペースが乱れ厳しいレースとなった。
- 過酷な環境の中で自分の弱点を知る。厳しい状況ながらも、日本人の参加者としては2番目の好成績を収める。
- 2003年 MFJ 全日本モトクロス選手権 国際B級クラス 参戦
- 2003年 UAEデザートチャレンジ 出場 リタイヤ
- レース最終日の前日、大クラッシュにより負傷、骨折した上に記憶までも失っていたが、持ち前の精神力でその日のレースはゴール。翌日、ドクターストップによりリタイヤ。
- 2004年 パリ・ダカールラリー 出場 451cc以上クラス20位 総合50位
- 例年になく非常に厳しい大会であった。2日間のステージがキャンセルされる程の過酷なレースであった。レース前半からリタイヤ者が続出する中、自分のペースを維持し続けダカールにゴールした。日本人ライダー8人が出場の中、ただ一人完走を果たした。
- 2004年 FIMクロスカントリーラリー世界選手権 第5戦 UAEデザートチャレンジ2004 出場 市販車無改造クラス7位 総合14位
- 日中気温46℃の砂漠で過酷なレースとなった。無欲でレースに臨み、最後までベストコンディションを維持、レースを走りきった。最終ステージで9位を獲得、市販車無改造クラス7位・総合順位14位でゴールを迎えた。
- 2004年 FIMクロスカントリーラリー世界選手権オープンクラス 年間ランキング 20位
- 2006年 パリ・ダカールラリー 出場 市販車451cc以上クラス3位 総合37位
- 計画通りに行われ、ナビゲーション面でも難易度をアップさせた厳しい大会となった。
- 三度目の出場となれば慣れたもので、コンディションを維持しトラブルもミスコースも最小限に抑え、順調な走りでゴールした。
脚注
出典
- ^ “ラリーライダー”. GO RIDE (2020年12月29日). 2025年1月27日閲覧。
- ^ “ラリーレーサー 堀田 修 | ダカールラリー”. www.hotta.jp. 2025年1月27日閲覧。
- ^ “WE LOVE ADVENTURE”. ameblo.jp. 2025年1月27日閲覧。
- ^ “歴代の日本人出場者 : パリダカ日本事務局 DAKAR RALLY”. 2025年1月27日閲覧。
- ^ “オフロードマシン ゴー・ライド6月号発売【楽しく身につく堀田式テールスライド】│WEBヤングマシン|新車バイクニュース”. young-machine.com (2022年6月6日). 2025年1月27日閲覧。
- ^ “千葉県八千代市八千代台のITサポート・パソコンサポート | オーエイチプラス ITアドバイザー”. www.ohplus.jp. 2025年1月27日閲覧。
外部リンク
- 堀田 修のページへのリンク