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堀川具俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/21 09:41 UTC 版)

 
堀川具俊
時代 鎌倉時代後期
生誕 文永10年(1273年
死没 嘉元元年(1303年)9月
官位 従二位権中納言
主君 亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇
氏族 村上源氏庶流堀川家
父母 父:堀川具守
兄弟 具俊、静源、顕守、道守、信助、基子、琮子、西園寺公顕
二条為藤[1][2]
顕基、具親
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堀川 具俊(ほりかわ ともとし)は、鎌倉時代後期の公卿内大臣堀川具守の子。官位従二位権中納言。早世したために息男である具親が具守の家嫡となった。

経歴

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』、『検非違使補任別巻』の内容に従って記述する。

  • 弘安7年(1284年)閏4月24日、叙爵。同年7月26日、侍従に任ぜられる。
  • 弘安8年(1285年)12月29日、従五位上に昇叙。
  • 弘安9年(1286年)7月11日、左少将に任ぜられる。
  • 弘安11年(1288年)3月8日、正五位下に昇叙。
  • 正応2年(1289年)1月5日、禁色を許される。同年2月24日、従四位下に昇叙。3月26日、従四位上に昇叙。6月2日、左中将に転任。
  • 正応3年(1290年)10月27日、正四位下に昇叙。
  • 正応5年(1292年)10月28日、従三位に叙せられる。左中将は元の如し。
  • 永仁4年(1296年)1月5日、正三位に昇叙。
  • 永仁6年(1298年)6月23日、参議に任ぜられる。7月13日、左衛門督を兼ね、検非違使別当に補せられる。
  • 正安元年(1299年)3月24日、讃岐権守を兼ねる。4月26日、権中納言に昇進し、同日に左衛門督を兼ね検非違使別当に補せられる。6月6日、検非違使別当を止められる。7月8日、従二位に昇叙。
  • 正安3年(1301年)1月22日、後伏見院別当に補される。同年4月5日、左衛門督を止める。9月10日、御禊次第司御前長官に補せられる。
  • 嘉元元年(1303年)1月5日、左衛門督を兼ねる。5月18日、左衛門督を止める。9月薨去。享年31。

系譜

脚注

  1. ^ 権中納言
  2. ^ 『尊卑分脈』によれば二条為雄の娘。

参考文献

  • 『検非違使補任別巻』、宮崎康充編、続群書類従完成会。
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)



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