坂倉藤吾とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 坂倉藤吾の意味・解説 

坂倉藤吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 14:09 UTC 版)

坂倉 藤吾(さかくら とうご、1930年昭和5年)1月1日[1] - )は、日本の政治家参議院議員(1期、日本社会党)。

経歴

三重県伊勢市出身。名古屋逓信講習所(現在の郵政大学校)卒業。郵便局に勤務した。全逓信労働組合三重地区書記長、全逓信労働組合副委員長、全逓信労働組合執行委員長、三重県労働協議会副委員長、部落解放同盟の三重県共闘会議議長を歴任。

1977年(昭和52年)の第11回参議院議員通常選挙で、日本社会党公認で三重県選挙区から立候補して、284483票(得票率34.7%)を獲得し、自由民主党久保田藤麿新自由クラブの候補者の田中覚を破り47歳で当選する。1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙で自由民主党候補の水谷力に敗れて落選する[2]

1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認候補として三重2区から立候補したが日本社会党は角屋堅次郎の後継者として土井ブームがあったことから2人の複数候補者を擁立した。結果、もう一人の公認である石井智が当選したが、坂倉は得票51,536票で得票率 15.0%で次点落選した。

2001年(平成13年)春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[3]

脚注

  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』270頁。
  2. ^ 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』(1985年(昭和60年)) 285頁、304頁
  3. ^ 『官報』号外第87号26頁 平成13年5月1日号

参考文献

  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議』(廣新二 1985年)の「坂倉藤吾」の項
  • 『三重県史 資料編 近代1 政治・行政 1』
  • 『三重県史 資料編 近代2 政治・行政 2』
  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』 日外アソシエーツ、2003年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坂倉藤吾」の関連用語

坂倉藤吾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坂倉藤吾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坂倉藤吾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS