坂上田村麻呂説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 01:30 UTC 版)
桓武天皇の治世 (737-806) に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討を行った時、奥州古道(国府街道)を国府─渋川宿─中之条─四万─木根宿─越後国浅貝宿という経路で移動しているが、四万の日向見(ひなたみ)で入浴したと伝えられており、これをもって四万温泉の開湯と考えられている。時期を突き詰めるならば、平安京を出征した延暦20年2月14日(801年3月31日)から征討が終了したと考えられる同年9月27日(11月6日)までの最初の遠征と、延暦21年1月7日(802年2月12日)からアテルイが降伏した同年4月15日(5月19日)までの2度目の遠征の、いずれかの間の出来事である。
※この「坂上田村麻呂説」の解説は、「四万温泉」の解説の一部です。
「坂上田村麻呂説」を含む「四万温泉」の記事については、「四万温泉」の概要を参照ください。
- 坂上田村麻呂説のページへのリンク