国衙光経とは? わかりやすく解説

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国衙光経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 17:31 UTC 版)

 
国衙 光経
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 永禄3年1月11日[1]1560年2月7日
改名 吉川光維[1]→国衙光経[1]
別名 国衙光継[1]
戒名 功嶽正隆[1]
官位 河内守[1]
主君 吉川経基国経元経興経元春
氏族 藤原南家工藤氏吉川氏庶流国衙氏
父母 父:吉川経基[2]
兄弟 吉川国経[2]玉保慶受尼子経久室)[2][3]
女(笠間刑部少輔室)[2]、吉川四郎[1]
女(小河内清信室)[1]石経守[1][4]
女(綿貫忠澄室)[1]国衙光経[1][4]
女(多賀某室)[1]、女(三須清成室)[1]
江田経純[1][4]、女(波根泰次室)[1]
筏経法[1]、女(気比大宮司某室)[1]
女(鷹司兼輔継室)[1]
春友[3]
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国衙 光経(こくが みつつね)は、戦国時代武将安芸国国人吉川氏一門。父は吉川氏当主である吉川経基光継(みつつぐ)とも。

生涯

安芸国国人吉川氏当主である吉川経基の四男として生まれる[2]安芸国山県郡川戸村[注釈 1]国衙領を本拠とし、「国衙」の名字を名乗った。

永禄3年(1560年1月11日[1]に死去[1]

その後の国衙氏は、江戸時代には岩国領主・吉川家の家臣として続いた[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 40.
  2. ^ a b c d e 近世防長諸家系図綜覧 1966, pp. 39–40.
  3. ^ a b 大朝町史 上巻 1978, p. 191.
  4. ^ a b c 光成準治 2016, p. 328, 吉川氏系図.

参考文献




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