器械学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 16:18 UTC 版)
安政3年(1856年) 竹橋御蔵にある汽車模型、電信機を動かすことが市川兼恭の初仕事となった。同年にプロイセン王国の外交官フリードリヒ・アルブレヒト・ツー・オイレンブルクが献じた電信機、写真機の伝習に加藤弘之とともに着任。 安政4年(1857年) スタンホープ手引印刷機を動かした。 万延元年(1858年)10月 市川兼恭が器械学主任に命じられる。洋文書物『ファミリアル・メソード』が印刷された。当初はローマ字活字だったが、文久年間には邦文活字も作られて二十数部の書籍が発行された。
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