唯信寺_(笠間市)とは? わかりやすく解説

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唯信寺 (笠間市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 02:24 UTC 版)

唯信寺
所在地 茨城県笠間市大田町436
位置 北緯36度20分53.7秒 東経140度17分25.2秒 / 北緯36.348250度 東経140.290333度 / 36.348250; 140.290333座標: 北緯36度20分53.7秒 東経140度17分25.2秒 / 北緯36.348250度 東経140.290333度 / 36.348250; 140.290333
山号 外森山
院号 西岸院
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 鎌倉時代初期
開基 唯信
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唯信寺(ゆいしんじ)は、茨城県笠間市にある真宗大谷派寺院

歴史

鎌倉時代初期、唯信の開基である。唯信は鎌倉幕府御家人八田知家の子[1]であったが、22歳のときに浄土真宗宗祖の親鸞の弟子となり、「唯信」を名乗ることになった。唯信は親鸞が関東地方で布教しているときには、常にお供をし、親鸞の補佐をしていた。親鸞が京都に帰還する際には、親鸞自作の肖像画を唯信に託した。唯信は戸森の地において当寺を創建した。その後、1667年寛文7年)に現在地に移転した[2][3]

当地を領有していた宍戸藩は、江戸時代後期より天変地異によって藩内が窮乏したことによる領民の逃亡が相次ぎ、人口が激減していた。第5代藩主松平頼救は当寺住職の唯定に相談したところ、唯定は他地域からの移民受け入れを進言し、北陸地方から多くの浄土真宗の門徒を移民させた(関東・東北の真宗移民)。現在の当寺の檀家の多くは、この際の北陸門徒の末裔といわれている[2]

文化財

  • 唯信寺梵鐘銘(笠間市指定文化財)[4]
  • 唯信寺のシイ(笠間市指定文化財)[5]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 俗名が「幡谷次郎信勝」だった同名の法名を持つ人物とは別人。
  2. ^ a b プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、271p
  3. ^ 唯信寺真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」
  4. ^ 唯信寺梵鐘銘笠間市
  5. ^ 唯信寺のシイ笠間市

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



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