和田裕弘
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和田 裕弘(わだ やすひろ[1][2]、1962年 - )は、日本の歴史家、戦国史研究家[1][2]。織豊期研究会会員[2]。
経歴
1962年(昭和37年)、奈良県で生まれる[2]。和田は織田信長研究家といわれるが[3]、信長に興味を持った時期について、2017年1月の時点で30年以上前と述べている[4]。
2007年(平成19年)度から2009年(平成21年)度にかけて、金子拓を研究代表者とした科学研究費補助金による共同研究「「信長記」諸本の史料学的研究」が行われた[5][6]。和田は研究協力者としてそこに参加し、共同研究の成果の一部として堀新編『信長公記を読む』に寄稿している[5]。
また、2012年の時点で、岐阜市信長資料集編集委員会の委員を務めていた[1]。
評価
谷口克広は和田について「日本中の資料館を回って信長関係の史料を渉猟し、そのすべてに目を通すという人」と述べ、『織田信長家臣人名辞典』の改訂に当たり、自身の知らない史料や見逃していた史料など、多くの史料を和田から提供されたと記している[7]。
金子拓は、各所の『信長記』伝本を閲覧調査してきた和田について、「可能な限り所蔵機関に足をはこんで原本を確認している点」がその仕事の強みであるとし、『信長記』諸本の研究は和田により大きく前進したと述べている[3]。
主な著作
単著
- 『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書、2017年[2][8]。
 - 『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018年[2][9]。
 - 『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書、2020年[2][10]。
 - 『天正伊賀の乱』中公新書、2021年[2][11]。
 - 『柴田勝家』中公新書、2023年[2][12]。
 - 『豊臣秀長』中公新書、2025年[2]。
 
共著
脚注
- ^ a b c d e 金子 2012, p. 331.
 - ^ a b c d e f g h i j k 和田裕弘『豊臣秀長』中央公論新社〈中公新書〉、2025年、奥付。ISBN 978-4-12-102877-8。
 - ^ a b 金子拓『織田信長という歴史―『信長記』の彼方へ』勉誠出版、2009年、54–55頁。 ISBN 978-4-585-05420-7。
 - ^ 和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中央公論新社〈中公新書〉、2017年、297–299頁。 ISBN 978-4-12-102421-3。
 - ^ a b “「信長記」諸本の史料学的研究”. KAKEN. 国立情報学研究所. 2025年10月26日閲覧。
 - ^ 金子 2012, p. 327.
 - ^ 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』吉川弘文館、2010年。 ISBN 978-4-642-01457-1。「はしがき」及び「あとがき」より。
 - ^ “織田信長の家臣団―派閥と人間関係”. 中央公論新社. 2025年10月26日閲覧。
 - ^ “信長公記―戦国覇者の一級史料”. 中央公論新社. 2025年10月26日閲覧。
 - ^ “織田信忠―天下人の嫡男”. 中央公論新社. 2025年10月26日閲覧。
 - ^ “天正伊賀の乱 信長を本気にさせた伊賀衆の意地”. 中央公論新社. 2025年10月26日閲覧。
 - ^ “柴田勝家 織田軍の「総司令官」”. 中央公論新社. 2025年10月26日閲覧。
 - ^ “信長公記を読む”. 吉川弘文館. 2025年10月26日閲覧。
 - ^ 金子 2012, 奥付.
 
参考文献
- 金子拓 編『『信長記』と信長・秀吉の時代』勉誠出版、2012年。 ISBN 978-4-585-22041-1。
 
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