和泉守護家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:50 UTC 版)
和泉国では細川氏の庶流二家が守護職を世襲した。両守護家の祖は細川頼長(頼之の甥)と細川基之(頼之の猶子)で、前者を上守護家、後者を下守護家と呼んだらしい。 半国ずつを分掌する半国守護制ではなく一国を共同で管掌する守護二人制だった。その理由としては、和泉国は狭小であるものの畿内の外港・商業都市として南北朝期に発展した堺を抱える重要地域であることから権力を分散させるためとも考えられる。ただし、頼長と基之は和泉守護となる以前から備後・土佐においても守護職に併任されており、別に何らかの理由が存在し、その前例を踏襲した可能性も考えられる。
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