君塚大輔とは? わかりやすく解説

君塚大輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/27 21:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
君塚大輔
Daisuke Kimiduka
ポジション SG/SF
身長 190cm (6 ft 3 in)
体重 83kg (183 lb)
足のサイズ 30.0cm
基本情報
本名 君塚大輔
愛称 "Kimmy"
ラテン文字 Daisuke Kimiduka
日本語 君塚大輔
誕生日 (1983-01-05) 1983年1月5日(37歳)
日本
出身地 神奈川県横須賀市
ドラフト 2005年 20位 
選手経歴
2005-2010
2010-2011
大分ヒートデビルズ
ライジング福岡

君塚 大輔(きみづか だいすけ、1983年1月5日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガードスモールフォワード。190cm、83kg。

来歴

5歳頃の時にバスケットボールを始める。田浦中学校を卒業後、県内の名門横浜商大高に進学。同級生である蒲谷正之と共に1年生の時からレギュラーを取り、2年生の時には共にスタメンとしてコンビを組み、同校を3年ぶりのインターハイに導くも1回戦で福岡商業に73vs75で惜敗(この試合、君塚は14点)[1]。同年のウィンターカップにも3年ぶりに同校を導き、2回戦に進出。新潟商業に敗れるも君塚自身は17点と活躍[2]。3年生となった2000年、再びインターハイに出場し、今度は見事3回戦まで進出し、ベスト16入りを果たすも、小林高校に惜敗(君塚はこの試合チーム最多の21点)[3]

高校卒業後、順天堂大学に進学。4年時の関東大学リーグ2部Aグループで得点王(427点)となる。

卒業後の、2005年に大分ヒートデビルズからドラフト全体20位で指名を受け入団。

2005-2006シーズンシーズン終盤の怪我などもありサブが多いものの2シーズン目にはプレイオフ進出に貢献。

2007-2008シーズンではポイントでの起用が増えチームの勝利に貢献。 試投数・成功数はリーグ基準に満たなかったものの3ポイントシュート成功率は52.8%を記録。 これはチームメイトである鈴木裕紀が記録した50.4%のリーグ年間1位の記録を上回る。

2008-2009シーズン大分ヒートデビルズの指揮をとる小川忠晴HCやチームメイト、関係者などは以前より存在能力の高さを認めている。

チャレンジ!おおいた国体バスケットボール成年男子大分県選手団として与那嶺翼佐藤博紀と参加が決定。

2010年、ライジング福岡に移籍する。

2011年オフ、ライジング福岡のプロテクトから外れ退団。

脚注

[脚注の使い方]

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「君塚大輔」の関連用語

君塚大輔のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



君塚大輔のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの君塚大輔 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS