吉田智子 (アナウンサー)とは? わかりやすく解説

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吉田智子 (アナウンサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/09 21:06 UTC 版)

よしだ ともこ
吉田 智子
プロフィール
出身地 日本神奈川県平塚市
生年月日 1942年5月25日
没年月日 (2009-09-02) 2009年9月2日(67歳没)
最終学歴 慶應義塾大学文学部
所属事務所 吉田智子事務所
職歴 毎日放送アナウンサー
活動期間 1965年 - 2009年
ジャンル 報道、ナレーション
公式サイト 吉田智子 ひとりがたり 海 そして・・・
出演番組・活動
出演経歴 あどりぶランド
その他 朗読家、大学教授

吉田 智子(よしだ ともこ、1942年5月25日[1] - 2009年[2]9月2日[3])は、毎日放送(MBS)出身のフリーアナウンサーナレーターである。囲碁界に一門を成す木谷実九段の四女である。MBS定年退職後は、個人事務所の吉田智子事務所所属。

来歴・人物

神奈川県平塚市出身。神奈川県立平塚江南高等学校を経て[4]慶應義塾大学文学部を卒業後[5]1965年に毎日放送(MBS)入社。同期に阪本時彦、志風洋子(旧姓・阿部)がいる。

先輩の小堀豊子と同様テレビでの露出は非常に少なく(『あどりぶランド』に出演する程度)、主にナレーションを中心に担当。MBSの用語委員を長年に渡り務める傍らチーフアナウンサーとして後進の教育に携わり、若手アナウンサーから「お母ちゃん」的な存在として親しまれた[要出典]

中でも『皇室アルバム』のナレーションを1997年9月末までの1000回・20年以上にわたり担当し、『真珠の小箱』のナレーション又は番組終了前の道案内役も1990年代後半ごろまで務めていた。

その後は『ヤン坊マー坊天気予報』(不定期でナレーション)、ラジオ番組『おはなしの扉』『MBSニュース』のラジオでの放送などを担当し2002年5月25日に毎日放送を定年退職。

フリーアナウンサーとして朗読活動など中心に活動した。また、出身放送局である毎日放送の番組(主としてMBSラジオ)に出演することも時々。また大阪芸術大学短期大学部広報学科の教授として「ゼミ」と「コミュニティー論」を担当した。

担当番組

脚注

  1. ^ 『こちら・あどりぶランド』 1986, pp. 174–178.
  2. ^ 木谷明『「無罪」を見抜く 裁判官・木谷明の生き方』3頁(岩波書店、2013年)([1] アーカイブ 2013年12月27日 - ウェイバックマシン)による。
  3. ^ 「うぐいす嬢が夢だった…。 ~ライター高橋ゆかりのホームページ~」内、2009年9月12日の日記より。
  4. ^ 吉田智子■ひとりがたり 海 そして…■”. www.hitorigatari.net. 吉田智子事務所. 2020年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月1日閲覧。
  5. ^ 吉田智子”. 株式会社フロンティア・ロード. 株式会社フロンティア・ロード/氏家大一郎事務所. 2022年2月2日閲覧。

参考文献

  • 毎日放送 編著『こちら・あどりぶランド : This is MBS』八曜社、1986年3月15日。NDLJP:12276263 

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