吉村正一郎 (仏文学者)とは? わかりやすく解説

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吉村正一郎 (仏文学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/25 01:57 UTC 版)

吉村 正一郎(よしむら しょういちろう、1904年2月17日 - 1977年12月9日)は、日本フランス文学者文芸評論家翻訳家

人物・来歴

滋賀県甲賀郡水口町(現・甲賀市)に、のち広島市長の吉村平造吉村胆南)の長男として生まれる。弟に映画監督の吉村公三郎がいる。1925年京都帝国大学文学部仏文科入学、1928年同卒業、朝日新聞社に入社、京都支局長、パリ特派員、論説委員を歴任し、「天声人語」を書く。生島遼一の妹悦子と結婚するが先立たれた。戦後1959年に京都市助役、1968年に奈良県教育委員長となる。1976年に帝塚山学園長となり、在職中にガン性腹膜炎のため自宅で死去した。[1] 逝去時には、東大寺信徒総代、大仏奉讃会副理事長を務めていた。[2]

親族

  • 実弟 : 吉村公三郎(映画監督)
  • 前妻 : 悦子 生島遼一の妹
  • 後妻 : 照

著書

  • 『日常の論理』筑摩書房 1942年
  • 『文学と良識』高桐書院 1949年
  • 『晴歩雨眠』朝日新聞社 1972年
  • 『待秋日記』朝日新聞社 1978年

共著編

翻訳

脚注

  1. ^ 『待秋日記』
  2. ^ 西日本新聞 1977年12月9日夕刊 15面



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