合祀の総社神社について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 19:57 UTC 版)
「大屋都姫神社」の記事における「合祀の総社神社について」の解説
大屋都姫神社には、和歌山市北字宮ノ後にあった総社神社(旧村社)が明治44年(1911年)に合祀された。この総社神社は近世に「総社大明神」とも称された神社であるが、祭神は明らかでない(『紀伊名所図会』では日本武尊を祀るという)。 延享3年(1746年)の『南紀神社録』やそれを受けた『紀伊名所図会』では、「総社」という社名・鎮座地が紀伊国府の推定地(現・和歌山市府中)に近いことから、この総社神社が紀伊国の総社であろうとする。一方『紀伊続風土記』ではこれを否定するとともに、田井荘落合村(現・和歌山市落合)のネズク谷に鎮座していたものが荘中の相論から遷されたものであるという伝を載せる。
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