右派による擁立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/01 17:18 UTC 版)
しかし、同年8月9日に中立派のコン・レー大尉がクーデターで右派ソムサニット政権を倒し、中立派スワンナ・プーマ政権を成立させると、ブン・ウムはノサワン将軍に擁立される。9月10日に「反クーデター委員会」(後に「革命委員会」)をサワンナケートに組織し、プーマ政権に対抗する。 同年11月、ノサワン軍が中立派政府軍に対して攻撃を開始し、首都ヴィエンチャンに迫ると、12月9日にプーマ首相はプノンペンに亡命。12月12日、ブン・ウムは国王により再び首相に任命され、同政権は西側諸国により承認された。12月16日、右派軍はヴィエンチャンを奪取し、翌1961年1月4日に王国議会が招集され、ブン・ウム政府が正式に承認された。しかし、プーマが首相辞任を拒否し、2月にジャール平原のカンカーイでコン・レー軍と合流して抵抗したため、内戦は継続した。
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