古川あんずとは? わかりやすく解説

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古川あんず

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/29 20:03 UTC 版)

古川 あんず(ふるかわ あんず、本名:古川 杏子1952年2月[1] - 2001年10月23日舞踏家、振付家。

東京都生まれ。東京都立立川高等学校在学中に学園闘争に参加し退学処分となる。定時制高校を経て、桐朋学園大学作曲科卒。

大学在籍中の1973年に、明治大学早稲田大学東京大学東京工業大学東京造形大学国際基督教大学といった様々な大学の学生達と共に「少女過激団」を旗揚げ、麿赤児大駱駝艦に参加し、1974年5月16・17日 東京ゲーテ・インスティトゥート主催、第13回現代音楽実験コンサートで『大観念オペラ・猿女譚』公演。

大駱駝艦で出会った田村哲郎と「ダンス・ラブマシーン」を結成して独立。その後「DANCE BUTTER TOKIO」を主宰、振付家の伊藤キムらを育てた。 

80年代末からヨーロッパに移住、ドイツのブラウンシュバイク市を活動拠点とする。ドイツに留学中であったインドネシアパフォーマンス・アーティスト、ムラティ・スルヨダルモに影響を与える。 

2001年ベルリン舌癌で死去。

振付、演出

レンタボディ- バルハウス最後の夜、(ベルリン バルハウス劇場 1989年)

陽だまり ーSunday in Lifeー (ベルリン ベタニアン文化センター 1989年)

映画、映像

さらば箱舟』(寺山修司 監督、1984年公開のATG映画) 沖縄で撮影された舞踏を観ることができる。

『プチト・アナコ ~ロダンが愛した旅芸人花子~』 晩年の花子を演じた。麿赤兒が高村光太郎を演じた。

脚注

  1. ^ 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.539

参考文献

小林哲夫「高校紛争 1969-1970」(中公新書 2012年)




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