南条吉左衛門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 南条吉左衛門の意味・解説 

南条吉左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 03:27 UTC 版)

南条 吉左衛門(なんじょう きちざえもん、嘉永6年5月9日[注 1]1853年6月15日) - 昭和11年(1936年5月6日[1])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員

来歴

信濃国小県郡別所村(現長野県上田市)生まれ。幼名は豊太郎。横浜開港に伴う養蚕業の隆盛により、蚕種の国内需要が増大したのを受けて蚕種製造業を始める。明治31年(1898年)から小県蚕種同業組合長を務めた。

明治12年(1879年)村戸長となり、自由民権運動に共鳴して嚶鳴社に参加し[2]、同14年(1881年)大隈重信の知遇を得て、千曲川沿いの一帯に立憲改進党の支部を組織した[2]。[翌年(1882年)長野県会議員となり、同22年(1889年)上田に改進党系の結社「已丑倶楽部」を結成して会長となった。同37年(1904年)第9回衆議院議員総選挙に当選した。日露戦争に関して殊功があり、勲四等旭日小綬章を受けた。

政界引退後、大正6年(1917年)に別所温泉に長野県初となる株式会社のホテル「花屋」を開業し、温泉街の発展に尽力した。

脚注

注釈

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第二十回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1904年、15頁では嘉永6年9月9日。

出典

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』473頁。
  2. ^ a b 大日方純夫『早稲田大学の学祖小野梓』150頁。

出典

  • 『信濃人物誌』1965年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『上田市誌 人物編 明日をひらいた上田の人びと』2003年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  南条吉左衛門のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南条吉左衛門」の関連用語

南条吉左衛門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南条吉左衛門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの南条吉左衛門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS