千手院 (長野県佐久穂町)とは? わかりやすく解説

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千手院 (長野県佐久穂町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/30 02:50 UTC 版)

千手院

本堂(観音堂)
所在地 長野県南佐久郡佐久穂町平林263
位置 北緯36度9分57.3秒 東経138度29分37.8秒 / 北緯36.165917度 東経138.493833度 / 36.165917; 138.493833座標: 北緯36度9分57.3秒 東経138度29分37.8秒 / 北緯36.165917度 東経138.493833度 / 36.165917; 138.493833
山号 平林山
宗派 天台宗
本尊 千手観音菩薩
創建年 仁寿年間(851年 - 854年
開山 円仁
正式名 平林山千手院津金寺
別称 平林観音
札所等 佐久三十三番観音14番
公式サイト 千手院
法人番号 2100005003589
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千手院(せんじゅいん)は長野県南佐久郡佐久穂町にある寺院宗派天台宗山号を平林山と号し、寺号を津金寺と号す。本尊千手観世音菩薩

概要

寺伝によれば、仁寿年間(851年854年)に、円仁によって創建されたという。当初は蓼科山麓にあったが、移転した後[1]応永13年(1407年)に現在地に移ったという[2]。その際に、名称を「平林山千手院津金寺」と号すようになった。

武田信玄武田勝頼の信仰も篤かったが、天正10年(1582年)に落雷により伽藍を焼失した。また、現在でも、境内に武田勝頼鎧掛けをしたと伝わる松が存在している。

本尊の千手観世音菩薩は、長野県立科町津金寺山梨県北杜市の津金寺(海岸寺)と共に行基の自彫と伝わり、初め蓼科山の山麓に出現したという。千手院・津金寺・海岸寺の3か寺は、共に行基が創建したことや行基の自彫の観世音菩薩を祀ることや3か寺が「津金寺」と称することなどから、「日本三津金寺」と呼ばれている。

また、本尊の千手観世音菩薩は、行基が創建した際に蓼科山に出現したと伝わり、その後当寺があるこの地域に移転した際に、地名から「平林観音」と称されるようになった。現在でも佐久三十三番観音の札所の観音として信仰を集めている。正月は初観音で厄除け、夏は夜観音で盛り、秋は収穫を終わっての例祭で盛り上がったという[2]

伽藍

  • 本堂(観音堂)
  • 愛染堂
  • 仁王門
  • 子安堂
  • 弁天堂
  • 客殿
  • 赤門

御詠歌

みほとけの
みのりもしげき
平林
いつも涼しき
御堂なりけり

周辺

参考文献

脚注

  1. ^ 佐久市HP 佐久市の文化財「六地蔵幢」(https://www.city.saku.nagano.jp/bunka/bunka/bunkazai/bunkazaijimusyo/shiteibunkazai.files/a010.pdf)2024年8月2日最終確認
  2. ^ a b 佐久町誌刊行会 編『佐久町誌 民俗編』佐久町1982年



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