加藤泰武とは? わかりやすく解説

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加藤泰武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 02:48 UTC 版)

 
加藤泰武
加藤泰武像(如法寺蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 延享2年7月13日1745年8月10日
死没 明和5年5月22日1768年7月6日
改名 富之助、泰武
戒名 広善院殿頴鋒義俊大居士
墓所 愛媛県大洲市柚木の如法寺
官位 従五位下遠江守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
伊予大洲藩
氏族 加藤氏(光泰系)
父母 加藤泰温:円性院
兄弟 泰武岩城隆恭継室、津礼
正室酒井忠用の娘・香樹院
隼姫(松平定信継室)
養子泰行
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加藤 泰武(かとう やすたけ)は、江戸時代中期の大名伊予国大洲藩の第7代藩主官位従五位下遠江守

略歴

第5代藩主・加藤泰温の長男として誕生。幼名は富之助。

父の泰温は延享2年(1745年)6月上旬に死去しており、泰武はその1カ月後に生まれた息子である。宝暦12年(1762年)2月1日、先代藩主の加藤泰衑が隠居したため、その養嗣子として跡を継いだ。藩財政再建のために、家臣団の知行削減などを行なったが、幕府の公役による出費に苦しんだと言われている。

明和5年(1768年)5月22日に脚気腫のため24歳で死去した。子は娘しかいなかったため、跡を先代泰衑の実子で養嗣子の泰行が継いだ。法号は広善院殿頴鋒義俊大居士。墓所は愛媛県大洲市柚木の冨士山如法寺

系譜




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