劉瑜とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉瑜の意味・解説 

劉瑜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 04:19 UTC 版)

劉瑜(りゅう ゆ、生年不詳 - 168年)は、後漢学者官僚は季節。本貫広陵郡。広陵靖王劉守(武帝の子の広陵厲王劉胥の孫)の玄孫にあたる。

経歴

清河太守の劉弁の子として生まれた[1]。劉瑜は若くして経学を好み、図讖天文・算暦の術を得意とした。州郡に召し出されたが官に就かなかった。

165年延熹8年)、太尉楊秉により賢良方正に挙げられ、洛陽に到着すると、宦官や佞人をしりぞけるよう上書した。

桓帝が劉瑜を召し出して災害の徴候について諮問すると、劉瑜は讖緯説に基づいて回答したが、桓帝は劉瑜の進言を用いることができなかった。劉瑜は議郎に任じられた。

桓帝が死去すると、大将軍竇武が宦官たちを粛清しようと図り、劉瑜を侍中として召し出し、計画を謀議した。168年建寧元年)9月[2]、竇武らが宦官排除に失敗すると、劉瑜らは皆、誅殺された。劉瑜の死後、宦官たちはかれの上書を虚偽扱いして全て焼いた。

子に劉琬があり、劉瑜の学問を伝え、気象の予報に明るく、災異について著述した。方正に挙げられたが、官につかなかった。

脚注

  1. ^ 范曄後漢書』劉瑜伝による。謝承『後漢書』は「父の祥は清河太守となった」とする。
  2. ^ 『後漢書』霊帝紀

伝記資料

  • 『後漢書』巻57 列伝第47



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉瑜」の関連用語

1
70% |||||


3
8% |||||

4
6% |||||

5
4% |||||

6
4% |||||

7
2% |||||

劉瑜のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉瑜のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉瑜 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS