分水事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/24 02:52 UTC 版)
1888年(明治21年)、上水の水利権を巡り、当時、上水の上流側にあった板橋村と、下流側にあった小田原町との間で争いが起き、「分水事件」と呼ばれた。結局、両者間で話し合いが持たれ、和解により事件は収束した。この時、板橋村側の代表として尽力した市川文次郎は、後にこの地にできた大窪村の村長を務めている。現在、上水の取水口付近に、市川文次郎の頌徳碑が建っている。
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