公子職時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 14:07 UTC 版)
父は燕王噲で、昭王はその庶子である。司馬遷の「史記」によると、父の噲は国政に無関心で宰相の子之を盲信し、堯舜に倣うと言って禅譲を行い、これに対抗して太子平は反対派を集めて挙兵した為、国内は騒乱状態となった(紀元前315年)。翌年ここに公子職の援軍と称して斉(田斉)の湣王が付けこみ兵を出して侵攻し全土を併合、父王噲は殺され燕は一時的に滅亡状態となった。
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