公子時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 10:24 UTC 版)
公子弃疾は兄霊王の命で陳や蔡を滅ぼして、陳公や蔡公を名乗ったり、斉で悪名を鳴らして呉に亡命していた慶封(zh)を攻めて処刑するなど、霊王の手足として活躍していた。 しかし、霊王の連年の出兵による不満が国内中に高まったのを感じ、秦から帰国した兄の公子比や公子黒肱(子皙)は、紀元前529年に霊王不在の隙を突いて霊王の太子禄を暗殺、楚王となった比こと訾敖により、弃疾は司馬に任じられる。その直後の5月18日、弃疾は「王(霊王)が帰国して、新王を処刑する」との流言飛語を都に流して訾敖と令尹子皙を自害へと追い込み、翌5月19日に自らが楚王として即位する。
※この「公子時代」の解説は、「平王 (楚)」の解説の一部です。
「公子時代」を含む「平王 (楚)」の記事については、「平王 (楚)」の概要を参照ください。
- 公子時代のページへのリンク