八条宮長仁親王とは? わかりやすく解説

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八条宮長仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 06:20 UTC 版)

八条宮長仁親王
八条宮
続柄 後西天皇第1皇子

身位 無品
親王
敬称 殿下
出生 明暦元年5月14日1655年6月18日
山城国
死去 延宝3年6月25日1675年8月16日
山城国
埋葬 不明
不明
配偶者 正室:不詳
子女 養子八条宮尚仁親王(第5代八条宮(桂宮)
父親 実父:後西天皇(第111代天皇
養父:八条宮穏仁親王(第3代八条宮(桂宮)
母親 明子女王高松宮好仁親王の王女)
役職 中務卿
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八条宮長仁親王(はちじょうのみや おさひとしんのう、明暦元年5月14日1655年6月18日) - 延宝3年6月25日1675年8月16日))は、江戸時代前期の日本皇族世襲親王家八条宮桂宮)第4代当主。後西天皇の第一皇子。母は女御明子女王高松宮好仁親王の王女)。幼称は一宮・若宮・倉宮、または阿茶麿(あちゃまろ)。

寛文5年(1665年)10月穏仁親王が継嗣となる王子の無いまま薨去したため、親王の継嗣として寛文6年(1666年)に宮家を相続した。寛文9年(1669年親王宣下を受け、長仁と命名される。同年11月元服する。中務卿に任ぜられる。延宝3年(1675年)6月25日薨去。21歳。法名は霊照院[1]

脚注

  1. ^ 日本人名大辞典+Plus,367日誕生日大事典, デジタル版. “長仁親王(おさひとしんのう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年3月28日閲覧。



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